漫風夜話

漫画に関連した過去の思い出や日常をエッセイ風に綴る。

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夜話-14「平成デカダンス・・・」

日々の流れが一層速く感じられる一年であった。
世の中や人生などがむなしく思われる一年でもあった。
ネット社会に入り全てが筒抜けで、物事をデフォルメ出来なくなった分、はったりや、冗談が通じなくなりすぐ現実的になり夢や希望を持てなくなったからであろうか。

その影響もあるのか「マンガ」は予想外に人気がある。高校のオープンキャンパスでも親御さんを含めて毎回40~50人程が集まる盛況であった。中学生ですでに「上手!」とうならせる生徒もいた。この娘を今しっかりサポートすれば必ずプロになれると確信する程の上手さであった。
神戸の高校と大阪の専門学校を教えているが、本来教えるのであれば中学生からかもしれない。スポーツを見ていても頭角を表わすのは中学生だ。自分自信を思い出しても中学生時代のモノの思考が一番高かったような気がる。子供の能力を遺憾なく発揮できる機関を国を挙げて早急に作って欲しいと切に願う。そうしないとこの国は益々他国に追い抜かされ滅びてしまいそうだ、政局は○沢に振り回され、マスコミはエビやらカニに何時間も費やす暇なぞありませんぞ!

最近、やる気は変わりないが空しさが抜けない日々だ、頑張っても頑張っても報われないからだと思う。
昭和初期に退廃的な生き方や小説が流行った、坂口安吾や太宰治、檀一雄など無頼派を名乗る作家達だ。
その昭和初期をこよなく愛する学生がいた。4年前の事だ。クラスでもひときわ目立つ存在の女学生Aはいつもギターケースとマンガ道具をかかえて登校してきていた。彼女と話していると昭和、大正、明治時代に生まれたかったと嘆き、課題を与えると昭和の臭いを感じる背景とキャラを描いていた。感受性は人一倍強くマイナー系の雑誌などにも投稿、持ち込みをしていた。本当に漫画家になりたいのならアシスタント経験もすべきだと勧めた。
そのAさんが月刊誌アフタヌーン(講談社)1月号の四季賞(2010秋)で見事大賞を獲得した。その題名は「平成デカダンス」(みやざき明日香)。わずか17頁の作品で審査委員の萩尾望都氏は絶賛していた。
私が驚いたのは4年前にすでに求めていたデカダンスを見事な形に表現した事とキャラや背景画の上達だった。この賞でプロになって活躍している作家は数多く、講師としては一番うれしい事で、少しは報われた気がする。

話は変わるが映画「ノルウェイの森」が封切られた。
恋愛のデカダンス的要素は多分にあり、恋愛そのものがデカダンスかもしれない。村上春樹の名作で1987年の作品だ。赤とモスグリーンの表紙(上・下2巻)に明朝形の書体がシンプルでひときわ目立った。表紙も氏の作品で、旅行先の南ヨーロッパで執筆された。
発売当時「ノルウェイの森」の題名が良いと思った。ビートルズの「ノルウェイの森」のメロディがいいので買ってしまった人も多いかもしれない。しかし詩の内容はレノンの浮気を綴ったものらしいが私にとっては物悲しいメロディが心にしみこみ、小説「ノルウェイの森」と結びつくところがある。
小説の中で直子と同居するレイコさんが「ノルウェイの森」を弾く。下巻のラストでレイコさんが京都から東京の吉祥寺に住む主人公のワタナベのアパートへやってきて2人で直子のお葬式をするシーンが良い。50曲余りの当時懐かしい曲をレイコさんが鎮魂を込めて弾くのだが「ノルウェイの森」は最初の方と最後に2度弾く。レイコ自身も精神病を患っていたが直子の死とともに再生をはかって出てきたのだった。
「旭川に行くのよ。ねぇ旭川よ!」「音大のとき仲の良かった友だちが旭川で音楽教室やっててね・・・」旭川出身の私からするとなぜ「旭川」なのだろうと思ったが冬の景色はノルウエイに似ているかもしれないと思った。
神戸出身の村上春樹氏の文体や文言はやさしく、自然描写が巧みなので読み手も脳裏に描きやすい。映画でも雨降りや色濃いグリーンの山並みや冬景色などが見事な心理描写に繋がっていた。そうしたイメージの連想で「旭川」を選んだのかもしれないし、氏も「旭川」へ行かれた事があるのかもしれない。
今頃旭川はまさにノルウェイ的冬景色だ、その後レイコさんは元気に暮らしているだろうか?

政治はまさに「平成デカダンス」そのもので、やがてさらに荒廃した社会へ突き進むのだろうか?
今年は何度も批判してきたが民○党は今すぐ解党して欲しい! もう政治ゴッコ集団に任せる時間など無いぞ!

なんやかやと雑事に追われ目的の達成できない一年でした。来年もおつきあい宜しくお願い致します。

(歩)2010.12.19

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夜話-13「学園祭今昔」

雨の中、高校(女子校)の文化祭(学園祭)に行って来た。
今年で創立85年の記念すべきイベントとして皆さん張り切っていた。

職員室を覗くと先生方は接客やら担当行事に忙しく閑散としていたが、私の机の上に仕出し弁当が置いてあったのでプログラムを見ながらいただいた。講堂での演目や各教室での展示、模擬店は昔と変わりなさそうだ。

漫研制作の大垂れ幕(8M×8M)は毎年恒例のイベントだそうで60数名の部員が描いたマンガイラストは目を引た。
その大垂れ幕をかかげた2号館に漫研部の展示教室があった。驚いたのは数人がアニメのコスプレファッションに変身していた。今話題の初音ミク姿もいてさすがに今の高校生は進んでいると思ったが、後でネットを調べてみるとコスプレ衣装はかなり格安で販売しており、数千円から1万円以内で購入できる。
昔だと親に夜なべして作ってもらったり、ダンボールを組み合わせてロボットに変身したりしたが、今はそうした手間をかける感覚はなさそうだ。

部活の時に描きためてラミネート加工したイラストシールを各自机に並べて販売していたので各1枚づつ全員のを買った。1枚50円から200円。「ねえ先生私のもう1枚買って」と商売の上手な生徒もいれば恥ずかしがりながら売る生徒もいて面白かった。こうしたシーンも思い出として残るのだろう。

高校生の頃の学園祭を思い出した。北海道は今頃の季節は冬支度で学園祭どころではないので夏休み前の7月か夏休み後の9月に行われる事が多い。私は美術部に所属していて油絵を描いていた。
学園祭が近づくと夜10時過ぎ迄学校に残って描いていた。
時々用務員のおじさんが警備で廻ってきて「何時迄残ってんだ!」と怒鳴られたが絵の好きな方で多めに見てくれた。背が高く姿勢の良い用務員さんであったが「ぼーっと」した動作だったので「唐変木」というあだ名がついていた。
学園祭前日、とうとう間に合わず学校に無断で数人が泊まり込んだ。美術準備室の窓をキャンバスなどで光が漏れない様にしていた。深夜、グランドで「唐変木」の叫び声が響きわたった。
他の部でも無断で居残っていた連中がいたらしく逃げ惑っている姿を3階の部室から眺めていたのだった。
しかしあの時代は随分「ゆるかった」とほくそ笑んでしまう。これで何か事件があったら学校としては一大事であっただろうし、停学か、退学処分になっていたかもしれない。(親も心配していたと思うが寛大な時代であった)
今でもスリル満天の思い出として残っているが、ちょいと「ワル」な時があるのも青春なのだと開き直っている。

先日、いやな事件が神戸でまたまた起きてしまった、妹が連れ回されていると勘違いした兄が2人の学生に暴行、一人が亡くなり一人は重体だ。
映画「悪人」ではないが全ての人間の心の中に「悪」や「ワル」は存在する、だがその加減が現在の人々に失われてきているのかもしれない。
無職の兄は自分自身就職も決まらずイライラした面もあったのかもしれない、社会状況がこうした事件を生み出す要因になっていると思うが他力ばかりでななく自力でも行動して欲しいと願う。
マンガや絵の作業は自らが創作し根気なくては完成しないのだから。
(歩)2010.11.3

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夜話-12「奇想天外」

9月も終盤を迎え今日は久々の雨。
3ヶ月余りの暑い夏がようやく終わりをつげようとしている。
「暑い暑い」といいながら確実に秋の気配を感じる。
しかし今夏は飲料水は手放せなかった、部屋で仕事をしている身だが、打合せなどでちょっと出かけて戻るだけで汗びっしょり、その都度着替えたので洗濯も多かったし、連日クーラーもつけっぱなしクーラーを切るとパソコンがうなりだすので切るに切れない。夜はついついビールを飲むので電気代と飲料水、水道代のかかった夏だった。これは今年だけの現象なのか、来年もさらにヒートアップしてゆくのか?どちらにしても異常現象は増えて行くだろう。

マンガ講師業の前期試験のテーマは「奇想天外」。1頁に大ゴマ背景を中心にショートストーリー形式で「奇想天外」な話をまとめてもらうやり方で、2週間前から提案、先週はネーム、下描きチェックに入り80名近くの学生のネームを見せてもらった。

普段大ゴマ背景画を中心とした講義でキャラクターと背景との位置関係、描き方や処理技術を教えている。ほとんどの学生はキャラクターはそこそこ描けても背景を描くのが苦手、あるいはめんどくさいといった意識がある。しかし背景画とはつまりシチュエーションの事で、主人公が今どのような場所に居てどのような状況にあるのか、さらに細かく書くと季節はいつで時間は何時頃なのかを背景画の表現で設定できるのだ、読み手はその背景画を瞬時にインプットして頁をめくって行く。

要所要所に背景画を上手く配置してあるマンガはテンポ良く読めるが、背景画がいいかげんだとここは学校なのか病院なのか街中なのか住宅街なのかわけのわからないマンガもよく見かける、さらっとしたマンガでもポイントを抑えた背景画があれば悩まずに読み進めて行けるのだ。つまり背景画は設定説明なので重要な役割を果たす。

マンガアシスタントの仕事も背景画が中心で他に効果線や仕上げ処理でマンガの厚みが加味される。売れているプロ作家はストーリーが決まるとその時代背景による資料集めに着手したり実際に取材。あるいは普段から写真撮影していた写真をネタに話を作ったり、その手法は作家それぞれ様々であるが、どちらにしても資料はその作家の要だ。
小説家にしても漫画家にしても部屋の中が本の山で一見ゴミ屋敷のようであるが、本人にとっては貴重な宝なのだ。しかし残念ながらそれをわかってくれるのはごくまれで、よっぽどの無精ものかゴミを捨てきれない変人扱いにされる事が多い。

「奇想天外」をテーマにしたのは学生1人一人のイマジネーションを見たかったからだ。
イマジネーションとは想像力で奇抜な話をどこまで描けるか、あるいは与えた背景資料写真を元にどれだけ想像を膨らませられるかだ。
学生の中には今年のテーマは少しレベルが高すぎるという者もいた。しかしレベルは高い方がいいと思っている、いろいろなハードルを無理なくこなせる人は一人もいないわけで、そこをクリアーするために新たなチャレンジをして行くと思うからだ。
ネーム(ラフ画)を見せてもらうと奇抜な発想が意外と少ない、あたりまえなストーリー運びで「う~ん」とうなるものが少なかった。
「もう少し頭をコンニャクにして!」と冗談をとばしながらやっている。ジャンル違いの学生も多いと思うが普段の発想を変えて描く、1頁にまとめる構成力はデビューしても必要な条件だと思う。今週土曜日が提出日で80名余りの「奇想天外」作品を見るのが今から楽しみだ。

しかし現実の方が「奇想天外」が多いのには仰天ものだ。
大阪地検によるフロッピー改ざん事件は「事実は小説より奇なり」で、このような形で一市民が犯罪者として落とし込まれて行く恐怖を感じる。つまり地検とは社会生活で国民を守ってくれる「正義の味方」というイメージがあったからこそなのだ。このイメージがくせものでイメージとして「良い者」扱いされて来た者がことごとく崩壊されてきている。
一般的には政治家、会社社長、医者、学校の先生、公務員などだが彼等もまた人の子には変わりはないわけで、我々市井はイメージに振り回される事なく見守って生きて行かなければならなくなる。何とも住みにくい世の中になったものだ。
(歩)2010.9.23

神戸長田に漫画塾を始めました。
「漫風舎」(まんぷうしゃ)ぜひ覗いて見て下さい。 
http://www.manpushya.com/


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夜話-11「ゲゲゲの時代」

NHK朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」が面白いというより懐かしい。
今迄朝の連ドラを見た事がない友人、知人も録画して見ているようだ。

昭和の時代、皆暮らしは中流だった、我が家は貧乏神も共に暮らしていたような状況だったが毎月本は買ってくれていたので、本を配達してくれていた緑色の自転車のお兄さんが来るのを心待ちにしていた。
月末、緑色の自転車を見かけると心がわくわくした、ペダルをこぐ音やブレーキをかける音まで聞こえてきたような気がする。小学館「小学一年生」から進級するごとに毎月購入してくれた。成績が悪いと「本をとるの止めよ」と母に脅かされた時もあったがモノがない時代、新しい本はいろいろな情報を運んでくれた。

昭和30年代はまだ印刷技術が悪く版ズレの頁も多かったが逆に印刷や製本、編集、広告にも興味を持った。お小遣いをためて夏休みやお正月は「少年」「少年画報」「冒険王」などの漫画雑誌を買うのが唯一の楽しみで豪華な付録で様々な事を知った。
夏休みの付録「紙製組立式幻灯機」は夕闇を待って家族や近所の友達を集めての上映会。
40ワットの裸電球を電源にセロハンやハトロン紙に印刷されたフイルムを回しての上映は楽しかった。熱で幻灯機やフィルムが燃えそうになったり部屋の窓を全開にしていたので虫がよって来てスクリーン上に飛び入り参加などのハプニングもあったが思い出深いイベントであった。

高校時代に「ガロ」が発売されて白土三平の「カムイ伝」を見て衝撃が走った。
旭川の近くに「神居古潭」がありアイヌ語のカムイコタン(神の住む場所)と関係があるのかと思った。
「ガロ」は編集長の長井勝一氏が白土三平のカムイ伝の連載の場として創設された。
(「ゲゲゲの女房」の「ゼタ」は「ガロ」のことである。)

高校の修学旅行は旭川から東京、京都まで10泊の大旅行であった。
東京での自由時間、宿泊先の駿河台から程近い「ガロ」の出版社青林堂へ向かった、もしかして白土三平先生に会えるのではないだろうかと思ったからだ。その頃から手塚治虫よりも「ガロ」派的要素が好きだったような気がする。白土三平は「忍者武芸帳 影丸伝」「シートン動物記」で今までに無い漫画で一線を画するものがあった、だが白土三平はまさに忍者のごとくその正体を表わさないのだ。つまり私生活に謎が多い作家であった為に興味が倍増された。
学生服を着た白土ファンを長井勝一氏は暖かく迎えてくれ、白土先生の原画を見せてくれた、確か青の色鉛筆で下描きしてペン入れしてあり、アミの部分は同じく青色で指定してあった。なぜそうするのかも説明してくれた。お土産に永島慎二「はえ」のゲラ刷り、水木しげるの「鬼太郎」絵はがきセットをいただいた。(あれから40年近く経つが、その貴重な品々を実は今でも持っている。)

その後長井勝一氏とは二度お会いしている、進学のため上京した後、持ち込みで「野いちご」という作品で預かりにはなったが残念ながら落選、その頃は神保町で材木屋の2階にあった。
3回目は「ほんまりう」氏の結婚式。(写真は左から上村一夫、師匠かわぐちかいじ、花沢編集者、長井勝一、夢野ひろし各氏と蒼々たる顔ぶれで私が撮影した 1978年頃 無断掲載禁止 画面をクリックすると拡大)
kawaguchi_nagai.jpg


「ゲゲゲの女房」のアシスタントは誰なのかと今漫画ファンから注目の的のようだが、看板屋出身の真面目な青年倉田は池上僚一氏(男組)、長髪の小峰はつげ義春(ねじ式)と鈴木翁二を合わせた役柄と聞いている。
「ガロ」は多くの杞憂な作家を輩出した、滝田ゆう、勝又進、林静一、佐々木マキ、花輪和一、安部慎一、安西水丸、永島慎二、つげ忠男など数えきれない。

水木しげるが「ガロ」133号(昭和49年9月)に掲載の「突撃悪魔くん」は「ゲゲゲの女房」の最初の頃のやることなすこと貧乏神に占領されっぱなしで、大蔵省からの立ち退き話などはこの漫画が元になっていると思われる。(「ゲゲゲの女房」第11週)
戊井(いぬい)らしき編集者も現れ「悪魔くんきっと評判になりますよ」というくだりで終わるが、後に現実になった。(戊井の零細出版社は東考社の桜井昌一氏ではないかと言われている、弟は漫画家の辰巳ヨシヒロ氏)

戊井(いぬい)役の梶原善がNHKお昼のトーク番組「スタジオパーク」に出ていたが素顔もなかなか面白い方で「ゲゲゲの女房」の中でも好感を持って見ている。
貧乏神に取り付かれた村井家ではあったけれど松下奈緒扮する布美枝や茂役の向井理など昭和の漫画家の一時代をほのぼのと描いていて心穏やかになる。脇をかためる役者が皆さん上手で村井の母親竹下景子には脱帽!、まさに肝っ玉母さんの演じ方は見事である。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」もそうであったが昭和30年代は日本人の心の原風景があるような気がする。

平成の殺伐とした世の中、心やさしい貧乏神か座敷ワラシの登場を願いたい。
参議院選挙後の政治家の姿を見ていると情けないの一言だ、誰の為の政治だ!党派を超えて考えて欲しい。○沢に怯えていてなにが民主だ。

「ガロ」の長井勝一氏の様に人を育てる太っ腹な指導者が欲しいと常に願う。
1996年1月5日に74歳で亡くなられたが、その日突然3時に退院したいと言い出し、阿佐ヶ谷の自宅に帰り好物のメロンを食べた後、午後5時40分、静かに息をひきとりました(幸田明子・妻)と「ガロ・長井勝一追悼特集」(1996年3月号)に書いてある。
水木しげるの追悼文『勝一昔ばなし』に「長い間マンガをやっているが、ガロほど長い間続いた貧乏雑誌はめずらしい。もうかって長続きした雑誌の話はきくが、あまり売れないのにこんなに続いた雑誌は世界に例がないと思う。私はよくガロは潜水艦だと思ったことがある。当然、沈んでいるはずなのに、生きていて浮上するのだ。」
水木さんらしいコメントだ。(「ガロ」は創刊号からほぼ全号所有していたがその大半は神戸に移住時に友人の漫画家Y氏に寄贈)

水木先生とは震災前に神戸でお目にかかった事がある、オーストラリアの原住民アボリジニの話や妖怪、戦時中の南洋の生活の話の講演で、三宮の勤労会館でのことであった。またペンネームは神戸市兵庫区水木通りのアパート「水木荘」に由来するらしいので横山光輝の「鉄人28号」に続いて町おこしの一端になればと思うのだが・・・。

「ゲゲゲの女房」を見ながらあの時代を振り返る今日この頃です・・・が私の方はまだ貧乏神が居着いたままで困ったものだ。
(歩)2010.7.31

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夜話-10「ああ青春ーN女子高校漫研」

校舎4階の南側に位置する教室からは瀬戸内海が間近に見える。
「ああこの位置からだとこう見えるんだ・・・」
コの字型の校舎の内側のグラウンドからはソフト部の練習のかけ声が威勢良く聞こえてきて「そうだ、学校ってこれだよな」と昔を懐かしみながら初夏の風が吹き込む窓辺に立つていると「それでは今日から我が漫研の特別顧問をしてくださいます・・・」と私の名前が呼ばれた。
そうなのだこの春から女子高校のキャリアコース漫画、イラスト科の講師を受け持っており、週の終わり講義後の放課後、漫研の生徒の作品を中心に見る事になった。運動部に力をそそぐ学校が多い中、校長先生から直接電話で依頼され即答してしまった。
部員は何と60名以上もいるマンモス部活だ。(文化部でこれほどの人数は聞いた事がない)

「まんが甲子園」作品提出審査と私の紹介を兼ねて特別総会が行われた。
部長はさすがにすごい!よそ見や、無駄口をたたく生徒がいると一括する、さらに専属顧問のM先生が「人の話をちゃんと聞かんか」と律する。
ブラブラ浮き世を漂ってマンガやデザインをやってきた身には久々に「規律」の重さを感じた。(汗)

部長の進行で物事がスムーズに進んで行く、何だかすがすがしい。
年に4回発行される100頁以上の作品集の製本がわずか30分で完成したのには驚いた。
(印刷はM先生が日曜日に学校の印刷室で刷ったそうだ)
副部長が「今度新しいホッチキスが手にはいりました~つ」(全員拍手)
何が始まるのかと思ったら、1、2年を中心にページ順に一列に並び、それをまとめるもの、製本して綴じるものがおり、人間オートメーションであっと言う間に出来てしまったのだ。(圧倒的人数の勝利)
最初の一冊を部長から顧問就任祝いとしてプレゼントされた。
何と言う素敵なセレモニーだろう。
16歳から18歳の女子高校生が描いた1枚画はそれぞれに個性があり、すでにデビューできそうなレベルの高い生徒もいる。人数ばかりではなく、きちんと活動されているのは部長をはじめ専属顧問のM先生のお力だろう。

「まんが甲子園」の作品は7作品の中からテーマの「3D」と「○○無料化」のうち、モテない男の子がゲーム機から飛び出すアイドル美女に包容される「3D」作品に決定した。
私の審査対象は「パッと見てわかる事」が条件だった、生徒の多数決により決定した作品は他の意見も取り入れてメーバー5人程でとりかかった。締め切り迄わずか3日後の6月14日(月)の深夜完成した。
後でM先生に聞いた話だが、締め切り当日の放課後、校内では間に合わず(校内使用は7時迄)近くのレストラン「サイゼリア」で5時間粘って完成したそうだ。M先生は食事代、お茶代は俺が払うからレシートを持ってこいと言って後でレシートを見たらコーヒー一杯分の「¥250」だけだったそうだ。
メンバー5人はコーヒー一杯でレストランの一部を貸し切って作品を仕上げた事になる、何と言うハングリー精神だろう、何だか胸が熱くなった。(それにしても「サイゼリア」さんご協力ありがとうです!)
「今時の若者はすごいじゃん」これぐらいのガッツが欲しいし「青春」って何て素敵だろうとあらためて感じてしまった、彼女等にとっていつか思い出の一部としてしっかり残るだろう。
M先生も意気を感じて郵便局の本局に走り当日消印に間に合った。
時間は深夜11時55分だったそうだ。ぜひとも予選を通過して欲しいと願う。

創立85年の古い校舎の北側は15年前の阪神淡路大震災では猛火に包まれ、大きな被害を受けたところだ。だが校舎はかろうじて難を逃れた。ちょうど今の1年生が生まれて間もない年だった。

※「まんが甲子園」とは毎年高知県で開催され、日本全国の高校を対象にトーナメント形式で行われる。予選で通過した30高校が高知に集まり、与えられた「テーマ」で競い合う。今年で19回目。
(歩)2010.6.23

神戸長田に漫画塾を始めました。
「漫風舎」(まんぷうしゃ)ぜひ覗いて見て下さい。 
http://www.manpushya.com/

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