漫風夜話

漫画に関連した過去の思い出や日常をエッセイ風に綴る。

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夜話-11「ゲゲゲの時代」

NHK朝の連ドラ「ゲゲゲの女房」が面白いというより懐かしい。
今迄朝の連ドラを見た事がない友人、知人も録画して見ているようだ。

昭和の時代、皆暮らしは中流だった、我が家は貧乏神も共に暮らしていたような状況だったが毎月本は買ってくれていたので、本を配達してくれていた緑色の自転車のお兄さんが来るのを心待ちにしていた。
月末、緑色の自転車を見かけると心がわくわくした、ペダルをこぐ音やブレーキをかける音まで聞こえてきたような気がする。小学館「小学一年生」から進級するごとに毎月購入してくれた。成績が悪いと「本をとるの止めよ」と母に脅かされた時もあったがモノがない時代、新しい本はいろいろな情報を運んでくれた。

昭和30年代はまだ印刷技術が悪く版ズレの頁も多かったが逆に印刷や製本、編集、広告にも興味を持った。お小遣いをためて夏休みやお正月は「少年」「少年画報」「冒険王」などの漫画雑誌を買うのが唯一の楽しみで豪華な付録で様々な事を知った。
夏休みの付録「紙製組立式幻灯機」は夕闇を待って家族や近所の友達を集めての上映会。
40ワットの裸電球を電源にセロハンやハトロン紙に印刷されたフイルムを回しての上映は楽しかった。熱で幻灯機やフィルムが燃えそうになったり部屋の窓を全開にしていたので虫がよって来てスクリーン上に飛び入り参加などのハプニングもあったが思い出深いイベントであった。

高校時代に「ガロ」が発売されて白土三平の「カムイ伝」を見て衝撃が走った。
旭川の近くに「神居古潭」がありアイヌ語のカムイコタン(神の住む場所)と関係があるのかと思った。
「ガロ」は編集長の長井勝一氏が白土三平のカムイ伝の連載の場として創設された。
(「ゲゲゲの女房」の「ゼタ」は「ガロ」のことである。)

高校の修学旅行は旭川から東京、京都まで10泊の大旅行であった。
東京での自由時間、宿泊先の駿河台から程近い「ガロ」の出版社青林堂へ向かった、もしかして白土三平先生に会えるのではないだろうかと思ったからだ。その頃から手塚治虫よりも「ガロ」派的要素が好きだったような気がする。白土三平は「忍者武芸帳 影丸伝」「シートン動物記」で今までに無い漫画で一線を画するものがあった、だが白土三平はまさに忍者のごとくその正体を表わさないのだ。つまり私生活に謎が多い作家であった為に興味が倍増された。
学生服を着た白土ファンを長井勝一氏は暖かく迎えてくれ、白土先生の原画を見せてくれた、確か青の色鉛筆で下描きしてペン入れしてあり、アミの部分は同じく青色で指定してあった。なぜそうするのかも説明してくれた。お土産に永島慎二「はえ」のゲラ刷り、水木しげるの「鬼太郎」絵はがきセットをいただいた。(あれから40年近く経つが、その貴重な品々を実は今でも持っている。)

その後長井勝一氏とは二度お会いしている、進学のため上京した後、持ち込みで「野いちご」という作品で預かりにはなったが残念ながら落選、その頃は神保町で材木屋の2階にあった。
3回目は「ほんまりう」氏の結婚式。(写真は左から上村一夫、師匠かわぐちかいじ、花沢編集者、長井勝一、夢野ひろし各氏と蒼々たる顔ぶれで私が撮影した 1978年頃 無断掲載禁止 画面をクリックすると拡大)
kawaguchi_nagai.jpg


「ゲゲゲの女房」のアシスタントは誰なのかと今漫画ファンから注目の的のようだが、看板屋出身の真面目な青年倉田は池上僚一氏(男組)、長髪の小峰はつげ義春(ねじ式)と鈴木翁二を合わせた役柄と聞いている。
「ガロ」は多くの杞憂な作家を輩出した、滝田ゆう、勝又進、林静一、佐々木マキ、花輪和一、安部慎一、安西水丸、永島慎二、つげ忠男など数えきれない。

水木しげるが「ガロ」133号(昭和49年9月)に掲載の「突撃悪魔くん」は「ゲゲゲの女房」の最初の頃のやることなすこと貧乏神に占領されっぱなしで、大蔵省からの立ち退き話などはこの漫画が元になっていると思われる。(「ゲゲゲの女房」第11週)
戊井(いぬい)らしき編集者も現れ「悪魔くんきっと評判になりますよ」というくだりで終わるが、後に現実になった。(戊井の零細出版社は東考社の桜井昌一氏ではないかと言われている、弟は漫画家の辰巳ヨシヒロ氏)

戊井(いぬい)役の梶原善がNHKお昼のトーク番組「スタジオパーク」に出ていたが素顔もなかなか面白い方で「ゲゲゲの女房」の中でも好感を持って見ている。
貧乏神に取り付かれた村井家ではあったけれど松下奈緒扮する布美枝や茂役の向井理など昭和の漫画家の一時代をほのぼのと描いていて心穏やかになる。脇をかためる役者が皆さん上手で村井の母親竹下景子には脱帽!、まさに肝っ玉母さんの演じ方は見事である。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」もそうであったが昭和30年代は日本人の心の原風景があるような気がする。

平成の殺伐とした世の中、心やさしい貧乏神か座敷ワラシの登場を願いたい。
参議院選挙後の政治家の姿を見ていると情けないの一言だ、誰の為の政治だ!党派を超えて考えて欲しい。○沢に怯えていてなにが民主だ。

「ガロ」の長井勝一氏の様に人を育てる太っ腹な指導者が欲しいと常に願う。
1996年1月5日に74歳で亡くなられたが、その日突然3時に退院したいと言い出し、阿佐ヶ谷の自宅に帰り好物のメロンを食べた後、午後5時40分、静かに息をひきとりました(幸田明子・妻)と「ガロ・長井勝一追悼特集」(1996年3月号)に書いてある。
水木しげるの追悼文『勝一昔ばなし』に「長い間マンガをやっているが、ガロほど長い間続いた貧乏雑誌はめずらしい。もうかって長続きした雑誌の話はきくが、あまり売れないのにこんなに続いた雑誌は世界に例がないと思う。私はよくガロは潜水艦だと思ったことがある。当然、沈んでいるはずなのに、生きていて浮上するのだ。」
水木さんらしいコメントだ。(「ガロ」は創刊号からほぼ全号所有していたがその大半は神戸に移住時に友人の漫画家Y氏に寄贈)

水木先生とは震災前に神戸でお目にかかった事がある、オーストラリアの原住民アボリジニの話や妖怪、戦時中の南洋の生活の話の講演で、三宮の勤労会館でのことであった。またペンネームは神戸市兵庫区水木通りのアパート「水木荘」に由来するらしいので横山光輝の「鉄人28号」に続いて町おこしの一端になればと思うのだが・・・。

「ゲゲゲの女房」を見ながらあの時代を振り返る今日この頃です・・・が私の方はまだ貧乏神が居着いたままで困ったものだ。
(歩)2010.7.31
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